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新VAIOは“次世代プロセッサ搭載PCの完成形”を目指す――関取社長ロングインタビュー

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これからの「VAIO」はどこへ向かうのか?

VAIOロゴ「VAIO」のロゴは新会社でも変わらない

 VAIO株式会社が2014年7月1日に発足した。ソニーから日本産業パートナーズにPC事業が譲渡されて誕生した新会社だ。本社はソニー時代からVAIO事業の拠点だった長野県安曇野市に構えている。同社の代表取締役社長には、元ソニーの関取高行氏が就任した。

 7月1日の記者会見をはじめ、すでにVAIOブランドを扱うこの新しい会社について多くを語っている関取氏。発足に際してのさまざまな報道を見ると、このブランドに対する好意的な見解に包まれているように思える面もある。かつて多くのファンを生み出し、PC専門誌だけでなく、一般ビジネス誌や新聞記者などにもファンの多かった「VAIO」シリーズだけに、期待感が強いという側面もあるのだろう。

 しかし、それ故にこれまで(ソニー時代)とは違う環境の中で、どう現実と向き合いながら、新しいPCメーカーを作り上げていくのか。関取氏に話を聞くならば、むしろ厳しい視点で、「VAIOが何を目指すのか」「何を“目指せる”のか」について、掘り下げた議論をしたいと考えてインタビューに臨んだ。

 会話の中で出てきた話には、今後発売される商品の計画や関係する他社の出荷スケジュールなどに依存する部分もあるため、必ずしもそのすべてを紹介することはできないが、可能な限り関取氏の考える「VAIO株式会社」について、その本音に近づいてみた。

 インタビュー形式の記事ではあるが、背景の説明が必要な部分には、適時、筆者の解説を織り込んである。

かつてVAIOを再生させた功労者が社長へ

関取高行氏関取高行氏(VAIO株式会社 代表取締役社長)

 まず、関取高行氏のバックグラウンドについて触れておきたい。

 関取氏はエンジニアではなく、事業全体のオペレーションや経営企画、組織管理などが専門だ。元はウォークマンをはじめとするジェネラルオーディオ部隊にいたが、2003年に採算性が悪化していたVAIO事業再生の任に就くため、ソニー社内の異動でVAIO事業再生のプランを立案、実践した。

 当時の取材メモを振り返ってみると、1997年に国内に登場したVAIOシリーズの経営手法が2000年ぐらいから通用しにくくなっていたように思う。

 独自ハードウェア+独自ソフトウェア(MPEGエンコーダーモジュールやオーディオ回路、MDドライブなど)を汎用(はんよう)PCと融合することでユニークさを保っていたが、他社がVAIOのアプローチをキャッチアップしてきたことに加えて、VAIOにバンドルされていたソフトウェアも数が必要以上に増えており、それぞれに異なるユーザーインタフェース、コンセプトで作られるなど、製品としてのまとまりを欠いていたころだ。

 昔のVAIOファンならば、まず新品を購入後にプリインストールされている不要な独自ソフトウェアをアンインストールする方法を、VAIOファンがブログに道しるべとして書いていたことを思い出すかもしれない。そのような状況をいったん整理し、「VAIO 第2章」として再スタートしたのが2004年のことだ。

木村敬治氏2003年当時、IT&モバイルソリューションズネットワークカンパニー(IMNC) ITカンパニーのプレジデントとして、VAIO事業を率いた木村敬治氏

 当時、VAIOの「表の顔」を木村敬治氏が担い、新コンセプトのVAIO(Do VAIO)を始めると宣言していた背景で、組織のオペレーションを改善していたのが関取氏だった。具体的には「VAIO再生@安曇野」というコンセプトを掲げ、商品の企画、開発、マーケティング、流通など本社で行っていたオペレーションと生産現場である安曇野工場を一体化する組織改革を進めていた。

 関取氏はその後、VAIO事業が最高益を記録する2007年の決算発表を見る直前に、事業改革のミッションを終え、当時のソニー・エリクソンへと移籍している。

 しかし、ソニー本体の商品企画力やマーケティング能力と、生産技術にたけたソニーイーエムシーエス(EMCS)の安曇野工場が一体となって商品価値を提案することで、プレミアムPCとしての地位を確立(米国市場で大きな存在感は示していなかったが、欧州での人気の高さは現在のSamsung GALAXYを思わせるものだった)したのもつかの間のことだ。

 VAIO事業は2008年のリーマンショックを契機に新興国への売り込みや、VAIOロゴを付けた低価格モデルへとかじを切り、Appleの存在感が高まっていくのと交代するように、存在感を失っていった。その背景には、そもそも採用するOSのWindowsがコンシューマー視点での改良において停滞していたこともあるが、そうした点を差し引いても、VAIO事業のどこかに判断の誤りがあったと指摘せねばなるまい。

 その一方で2007年の最高益を記録していたときの商品設計のリーダーは、直前までVAIOの開発を行っていた。すなわち、「よい商品を生み出す力」は企画、設計、そして生産現場の安曇野ともに残っていたにも関わらず、事業は急降下を続けたということだ。

 こうした経緯を把握したうえで、関取氏はVAIO株式会社の社長に就任。国内だけでも1000人以上を抱えていたソニーのVAIO事業は、社員数240人の小さな会社となった。なぜ大会社から切り離され、小さな船で大洋へとこぎ出すVAIOの社長を引き受けたのか。関取氏との話はそうしたところからスタートする。

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