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バイト炎上(1)

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 7月中旬以降およそ3週間の間に、飲食店のアルバイト店員がSNSなどに投稿した不適切な写真がもとでネット上の“炎上”がおき、企業が謝罪、場合によっては閉店に追い込まれるという事件が8件も続いている。不適切な行為を行なった本人に対しては、解雇などの処分が行なわれただろうが、今やネットの炎上は店舗の存続も難しくなるほど、リアル社会に対して大きな影響力を持つに至ったということになる。

 しでかした本人は、報道を見る限り未成年者も多くいることから、子どもとネットの問題を取り上げてきた本稿でも、この問題を考えておくべきだろう。

なぜ炎上したのか

 そもそも、ネットの炎上によってリアル社会が影響を受けるのは、今に始まったことではない。過去にも反社会的な発言によって炎上し、退学処分となったり、職場から解雇された例は数多い。

 ただ今回の一連の事件は、本人だけが責任を取るに留まらず、店舗そのものにも金銭的に大きな損害をもたらしているところが特徴的だ。さらに細かく見ていくと、事件が起きた職場はことごとく、飲食物を扱う店舗であることも共通している。

 この点に、日本人特有の潔癖性を見ることができる。日本は特に食の安全について神経質であり、厳密な対応を求める。

 例えば2000年の雪印集団食中毒事件、2001年の雪印牛肉偽装事件では、食の巨大グループ企業が消滅するといったことが起こった。2003年からはBSE問題で米国産牛肉は輸入規制を実施しており、一部条件付きでの緩和はあるものの、基本的にはいまだ輸入制限は続いている。近年でも中国、韓国製食品の異物混入が何度となく問題となっている。

 これらの例からも分かるように、日本人は食の安全が脅かされた場合、完全なる解決を求めてきた。さらに原発事故関連では、東海テレビの「怪しいお米セシウムさん事件」の記憶も新しいところだ。この点では、食に関する限り、シャレや冗談では済まされないということが分かる。

 だからこそ現在の食の安全があるわけだが、ファストフードやコンビニといった加工食品産業に関しては、食の安全が確認できないため、ブランドを信用するしかないという状況が続いてきた。それが販売員というもっとも身近な部分が信用できなくなったことで、消費者の怒りが爆発したと考えられる。

 そもそも過去の炎上事件を振り返ってみても、炎上を煽る側の心理としては、許されざることを言うもの、行なうものに対して、正義の制裁を加えるという意識がある。そして情報が拡散していくうちに、それぞれの正義が暴走してしまい、絶対に許さないという集団意識が形成され、過剰な静粛を求めるという動きに繋がっていく。

 これも一種の、潔癖性のなせる技といえるかもしれない。

なぜ「武勇伝」を投稿するのか

 今回の一連の事件は、TwitterとFacebookへの投稿写真が拡散されて、炎上事件へと至っている。なぜ彼らは、誰でもが見られるところへ悪ふざけの写真をわざわざ載せるのだろうか。

 これは以前から炎上事件が起こるたびに指摘していることだが、利用しているサービス上で、自分の投稿を一体誰が、どの範囲の人が見ることができるのか、その最大限度を把握していないことが問題となる。

 さらに今回キーとなるのは、写真である。写真は発言と違って直接閲覧される必要はなく、転載されても“犯人”の特定が可能だ。つまり、情報が一人歩きするわけである。オリジナルの発言が消されても、現在多くのサイトでいまだに問題の写真を閲覧することができるのは、そのためである。ある意味、発言よりも証拠が残りやすいと言える。

 元々は仲間内だけに見せる写真だったのかもしれない。だがそれを面白がって、外部に向かって発信する“仲間”がいる。悪気はないのだろうが、人の口に戸は立てられぬ、というわけである。

 ではなぜ事件を起こした子どもたちは、自分の投稿が仲間以外に拡散する可能性をイメージできないのか。

 彼ら彼女らは丁度年齢的に、ケータイで人とつながることを覚え、そこからスマートフォンへ移行した世代だと考えられる。ケータイ時代のコミュニケーションは主にメールであり、せいぜいプロフやホムペの掲示板である。これらはインターネット技術を使ってはいるが、PCベースのインターネットとは隔離されており、利用するサービスも乱立状態で、ユーザーは比較的拡散していた。

 すなわち仲間しか見にこない、自分たちだけでこっそりグループを作っているという感覚になりやすかった。実際には第三者が見ようと思えば見えるのだが、当時は写真を広く共有するといったことが習慣的に行なわれておらず、今回のような事件には繋がりにくかった。

 その感覚を持ったままでスマートフォンに移行し、同じ仲間でTwitterなりFacebookの参加者多くオープンなSNSでグループを作る。写真投稿も簡単で、文章を書くよりも手間がない。写真で遊ぶ、という感覚を覚えていく。

 途中でPCのブラウザを使ったネットアクセスの良さを体験していると、ネットには隠れる場所など実際にはないことが体感的に理解できるのだろう。だがあいにくそのようなチャンスもなく、ケータイから直線的にスマートフォンに移行し、それがインターネットのすべてだと思っているところに、今回のような“隙”ができる。

 次回は、炎上による社会的責任の所在と、リスク回避の方法を考察してみる。

小寺信良

映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作は、ITmedia Mobileでの連載「ケータイの力学」と、「もっとグッドタイムス」掲載のインタビュー記事を再構成して加筆・修正を行ない、注釈・資料を追加した「子供がケータイを持ってはいけないか?」(ポット出版)(amazon.co.jpで購入)。


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