古田雄介のプロフィール:
1977年生まれ。建設業界と葬祭業界を経て2002年にライターへ転職し、テクニカル系の記事執筆と死の周辺の実情調査を進める。ネット上の死の現状をまとめたルポ『死んでからも残り続ける「生の痕跡」』(新潮45eBooklet)を各種電子書籍サイトで販売中。ブログは「古田雄介のブログ」。
インターネットの自殺掲示板で知り合った男性から預かった青酸カリ入りカプセルで女性が自殺し、それを知った男性も同様に自殺した。いわゆる「ドクター・キリコ事件」が起きたのは1998年12月だ。当時テレビや新聞、雑誌がこぞって取り上げた有名な事件だが、元のサイト「安楽死狂会」はもう残っていない。事件の舞台となった掲示板や、サイト導入部のテキストのコピーが有志の手で残されているのみだ。
一方で、1999年12月20日に開設し、翌2000年1月15日まで更新した「境界例な日々」というサイトがある。最終更新で「死にます。今までありがとう」と記入して以来、アクセスカウンターが消失した以外はそのままの状態で残っている。
いずれも起点は16年前と14年前。ネットの時間軸で眺めると大昔のコンテンツだ。「安楽死狂会」のサイトが現存していないのは当然で、「境界例な日々」が存続しているのはずいぶん珍しく感じないだろうか。この時間感覚は今後も続くと思われる。
個別の事情はさまざまあるが、時間軸を広げると共通の流れがみえてくる。ネットで情報発信するのに使われるサービスは数年単位で主流が移り変わるので、10年以上前のままのコンテンツはとても古めかしく映り、大多数は世間に捨て置かれる。人が集まらない場は支える資金も企業も減るので、土台ごとボロボロと崩れていく。
つまり、インターネットにある情報はそれほど“半永久的”でもない。
死後数年は「そのまま残る」が大半、十数年後は「消滅」が大半か
連載を通して、ユーザーの死後に残ったネット上の遺産の行く末をさまざまな角度から調べてきたが、その多くは数年スパンで動きを追ったものだった。取材した内容を数十年後まで見据えてまとめてみると下のチャート図のようになる。
亡くなった直後は現状維持が普通だ。ユーザーの死とネットのIDが連動する仕組みがないため、基本的に生前のままの状態が続く。銀行の預金口座やクレジットカードが自動的に凍結することもないので、課金制サービスの支払いも継続される。そうして数年、数十年の時が流れるうちに、多くはサービスが終了したり支払いが滞ったりといった消極的な要因から消滅する道をたどる。これが主流だ。
それ以外の道——早めの消去や引き継ぎ、追悼の場になるといった流れは、遺族や友人の助けが必要になる。彼ら彼女らが、サービス運営者に掛けあったり故人のIDでログインして処理したりすることで成り立つ、いわば人工の進路だ。放っておけば川の流れに乗ってどこかに進んでいくところを、人の力で望む場所に引っ張るという感じに近い(ただ今後は、Googleの「アカウント無効化管理ツール」のように、ユーザー自身がアカウント停止処理を生前にセットしておけるサービスも増えてくるだろう(参照記事))。
ここで重要なのは、サービス運営側で主体的に処理が進められることがほとんどないということだ。連載第1回「なぜ飯島愛の公式ブログはちゃんと管理されているのか?(参照記事)」で伝えたとおり、ユーザーの死後にアカウントを削除するという規約があっても実行する例は滅多にない。死後の特別なケアも有名人ブログや有名事件被害者のSNSアカウントなど一部の例外を除いて行われない。これは、個別の案件に運営側が入り込むメリットに対して、リスクとコストが高くつきすぎるためなので、基本的な構造が変わらない限りは今後も同じはずだ。
インターネットは最期の声に大量に触れられる
おそらく、インターネットは自然界とは異質のようでいて実情はそんなに変わらない。ネットに情報をアップしても、そのままにしていたら捨て置かれやがて消えてしまう。人の手で食い止めることもできるが、何年も経って個別の意思が減衰したり失われたりすると、大きな流れに飲み込まれてしまう。
ユーザーが残したメッセージは、何もしなければ死後にネットを漂い続ける。そして、拾い手がなければやがてどこかに消えていく。その期間は数年程度という場合が多い。半永久と比べるととても短く思えるが、亡くなった人の声が世間に開かれた状態が数年間続くと考えると、十分に長い猶予が与えられているともいえる。意思を継ぐにしろ、第三者が前人の考えに触れるにしろ、いろいろなことができる。そこだけは自然の「死」と違うところだと思う。
望むと望まざるとに拘わらず、残していった最期の言葉やそこからたどれる人の姿には一生分の重みがある。そんな重みがインターネットにはたくさん残っている。それは相当貴重なことではないだろうか。
……と、最後に少しだけ私見を書かせてもらってこの連載を終える。テーマ自体は今後も追っていくので、またどこかでお会いしましょう。ありがとうございました。
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